2013年2月9日 土曜日 12:00〜17:21
笠岡市中央町 割烹旅館・三洋 二次会・こと半 「城見小学校同窓会」
えいちゃんたちの城見小学校では、けっして転校生徒という存在はなかった。
去る生徒も来る生徒もいないというのは
親たちの職業は、ほぼ全員が農業だった。
それは城見に限ったことでなく、日本全体でも就労者で一次産業が主の時代だった。
学校で苗字が使われるのは先生だけで、生徒同士では下の名だけを呼んでいた。
そうゆう訳で、当然ながら今日も苗字はいっさいでない。名前だけ。
名前だけの席には温もりがある。
これがえいちゃんの同級生。今回は19人が出席。
同級生は全員で61〜62名いた。そのうち物故者が既に8〜9人いる。
今日の出席者の住所は
笠岡市・・・14人(うち現在も旧城見村の住民10人)
福山市・・・3人
倉敷市・・・1人
神石高原町・・・1人
城見地区の住民が多いのは、それほど城見が住みやすく、いい場所である。
という理由でなくて
「跡取り」息子(または娘)という事情があり、やむなく城見に・・・親と同居しながら・・・住んでいるとのことだ。
ではぼちぼち一次会は終了。
こういう時は、ここで「校歌斉唱」してから会を閉める学校もあるだろうが
われわれは不可能。
何故ならば
校歌という高尚なものは、岡山県の最西南の小さな学校・・・島を除く。現在は神島が陸地になったので、その地位は神外小・・・の城見小学校には無かった。
(その頃、町の大きな小学校には校歌があるという話だった。今は時代の変化で城見小にも校歌がある)
次は二次会のこと半に行く。
こと半でカラオケ大会。
えいちゃんも前日に3曲ほどユーチューブ見ながら歌の練習をしてきている。
結局4曲歌った。
数年前からカラオケでは青春歌謡以外は歌わないことにしている。
こと半では4曲うたうと喉がはやくもつぶれてしまった。
5時過ぎに同窓会終了した。
帰りはまだ明るかったから、ふらふらしながらおうちまで歩いた。
ふらふらしながらも、
(世話役だったので)無事に終わったので”ほっとした”気持だった。
2013年2月10日