2013年1月15日   火曜日      笠岡   大芝島  鹿島    鹿老渡    桂浜    古鷹山    能美海上ロッジ 
呉市倉橋町  鹿島      6:30発    8:30頃    11:20頃    12:10頃   13:00頃    15:00頃    16:22〜泊 
                               


大芝島からは道草もせず「鹿島」へ向かった。

安浦から広、休山トンネルを抜けて呉本通を通り、昭和町、警固屋へ。



音戸の瀬戸を渡って倉橋島。


音戸町から倉橋町へ、桂浜の前を通り、海岸線の道を一路・・・・鹿島へ・鹿島へ。






やっと着いた「鹿島」。道が終わるところに車を止めた。午前11時8分。


6時半に家を出て最初の目的地へ11時8分に着いた。


遠かった。











ここが鹿島でもいちばん奥になる地区で「宮の口」。






前は海、背後に段々畑が迫る。












宮の口の民家の路地を抜けて山に行ってみる。













きれいな石垣の段々畑が山頂へ伸びる。















宮の口港と集落。北方面をみたところ、対岸は倉橋島の桂浜方向。
















耕して

天まで至る段々畑。
















南を見ると愛媛県の中島諸島が見える。














比較的低い場所(家から近い場所)の段々畑は現在も耕され

島の迫力ある景観になっている。














低い畑には野菜(エンドウ、豆、ワケギなど)、野菜より上の畑にはミカンが多い。















段々畑への道。

島の人たちが100年200年前から営々として築いてきた石垣の段々。




写真でわかるように、、この島にもイノシシが多いようだ。













海と段々畑に囲まれた宮の口の集落。

















瀬戸内海に特に多かった段々畑。山陽地方は山ごと段々畑が普通だった。


そのほとんどが山に戻ってしまった。





なぜ鹿島にこれほど残ったのだろう?














たぶん

先祖以来の段々畑を守って作物を植える、という意識が山陽地方の他と違って高かったのだろうな。





島民の意識が相当高かった。









段々畑の上の方へ行ってみたかったが、

干しものや、イノシシ避けではっとーばりされ断念した。











崩れた個所も無いのも住民意識の高さを感じた。
















これが「鹿島大橋」。340m。













橋のたもとから下を見ると鹿島の最初の集落「瀬戸」。











「瀬戸」地区には民宿も何軒か見える。






えいちゃんは勿論はじめての鹿島だったが、

呉市や広島市の人もこの鹿島まで来ることは滅多にないだろうな(桂浜止り)。




つぎ・呉市倉橋町鹿老渡NEXT




2013年1月17日