2012年12月24日 月曜日 | 猿掛山 | ![]() |
茶臼山 | |
小田郡矢掛町横谷・倉敷市真備町妹 | 9:58〜12:17 | 12:45〜13:44 |
猿掛山は二度目で、前回は真備から登ったので今回は矢掛から登る。
そう思って矢掛側から登りはじめたが失敗だった。
というのは登山道が非常に登りにくかった。
道はやや荒れ気味。
急登あり。
枯葉で足場悪し。
散々な登山となった。
ようやく横谷や山田が見渡せるようになった。
「三の丸跡」に着いた。ほっとした。
ほっとしたのは、
山頂付近まで登ったという意味でなく
悪路から解放されたという意味。
三ノ丸跡からは真備町方面がよく見える。向うに総社市街地。
井原線が走る。
二の丸跡の石。
二の丸から見る本丸。
本丸跡には城の説明板があるだけ。
郭跡が残る。展望はなし。
このように
本丸から六の丸まで郭が六あり、しかも中腹に太夫丸、寺丸があり八の郭から成る山城。
六の丸まで下りた。
これより真備町側に下る。
真備町側への登山道も滑りやすいが、
矢掛町の道とは比較にならない(いい)。
太夫丸付近まで降りた。
猿掛城は庄氏の居城として400年間隆盛したが、戦国末期には毛利方の城となり
天正10年の織田と毛利の「高松城水攻め」攻防の際は、毛利輝元の本陣となる程の城だった。
元和の「一国一城令」で廃城、現在に至る。
中腹の太夫丸跡。
石組み址が残る。
更に下っていく。
小田川を挟み前に見える鷲峰山が高く見えてきだした。
そして下山。
麓の道にお地蔵さん。
まるで春日八郎の「別れの一本杉」のような大木が後ろに立っている。
車道の登山口まで出た。
備中の古城では名城なのだが、ちょっと管理不十分(道と標識)という感じを受けた。
特に矢掛町横谷ルートはやや危険。真備から登り真備に下りるのが安全と思える。
2012年12月26日