2012年12月11日 火曜日
笠岡市 北川小 吉田小 新山小
笠岡市内の小学校にも金次郎像が多い、でも考えてみれば、不思議な事が多い。
不思議その一・・・終戦時に、御真影や奉安殿と同じく原型を留めない状態に破棄する命令があった。
(GHQ進駐軍の指示を先読みした解釈で、GHQは金次郎さんに軍事色を感じていなかった。という説明がなされている)
不思議その二・・・岡山県には縁がない人。(戦前は和気清麻呂像の方が多かったと思える)
不思議その三・・・戦前は学校の”修身”道徳教育、戦後は学校教育に登場しない。
不思議その四・・戦後に建立された像が多いが、なぜ中学校にないのか。
おまけの不思議・・交通事故の無い時代の像に対して「交通安全」を指摘する間抜けがいる。それを言うなら歩きながら本を読むと眼に悪いというならわかる。
笠岡市内の小学校に「二宮金次郎像」は、たぶん10体前後ある。
「北川小学校の金次郎さん」
像はコンクリートで、台座には”至誠報徳”とある。
台座には裏側に”昭和十八年七月建”と設置が刻まれている。
戦前・戦中の像は銅像または石像が多かったと予想されるので、現在ある金次郎さんが昭和18年からこの場所に建ったままとは限らない。
笠岡市立吉田小学校の金次郎さん。
校門のすぐ隣に建つ。(もっとも吉田小には校門が南北に二つある)これは北の校門そば。
陶器の金次郎さん。
学校の外側からだと建立年はわからない。陶器の金次郎像は割と新しく見える。そうじをよくしているからかも。
こちらは金次郎さんでなく「野口博士」。
笠岡市立新山小学校の「野口英世博士」。子供像でなくアメリカかアフリカ時代の顔。
コンクリートの像。
建立年は不明。
博士の右手にはフラスコがあったと思えるが、それは壊れたのだろうか?
笠岡市では多分唯一の野口英世博士像。
2012年12月13日