2012年10月7日 日曜日 午前10:30頃
笠岡市茂平
この堤防は500〜600mつづき”土手”と呼んでいた。
土手は東側の「茂平港」で始まり、そこには漁船が20〜30艘繋がれていた。
写真の中央部分が波止で突き出ていた。
港に下りる石段。
係船柱がある部分はコンクリートになってあるが、えいちゃん幼少の頃は石造りだった。
土手から見る堤防の下の捨石。今で言えば波返しを守る消波ブロックの役割をしていた石。
土手から見る神島栂の丸。
茂平のすぐ前に神島が横たわり、親近感がある島だった。
逆に言えば、
神島と片島と猫捨て島以外は見えず(広島県の仙酔島と走島は見える)、高島や白石や北木は夢想の島だった。
という訳で土手の前は茂平湾と笠岡湾と神島。
土手の後ろは茂平地区。えいちゃんが生まれ育った村。
土手の西側は苫無の砂浜まで続いていた。
苫無の砂浜では漁師が網を干したり紡いだりしていた。松林もあり、たいそう綺麗な浜だった。
今は県道井原福山港線で土手はちょん切られ、海は岡山県の工業用地として埋め立てられ消滅した。
あれほどきれいだった苫無の浜は何処だったのか位置すらわからない。
土手から見る茂平八幡神社。
今日は八幡さんのお祭り。
神輿が、この参道の石段を下りて来る時に見物しよう。
ところが神輿(茂平では”御船さん”と呼ぶ)は参道を下りてこなかった。
裏参道から現れた。
後で義姉に聞けば「石段が崩れた部分があるので、もう10年以上も前から裏道を下りている」との事だった。
そうだった。
お宮の石段は、すこし崩れたとこがある。
えいちゃんの頭には子供の頃からの印象しかなかった。
今は石段が壊れてなくても、「危険」という理由で裏参道を行く地区も多い。
ちょっとした失敗だったな。
2012年10月9日