2012年8月3日 金曜日 午前7:06〜9:27
笠岡市吉田
「山手の観音堂」。堂内には石像や木像の観音さんがいるそうだ。右の小さな堂は60番札所。
「山手の荒神社跡」へ向かう。
途中稲荷さんがあった。
道は山へ伸びてあり、藪が見えた。石垣も見える。
ここが「山手の荒神社跡」だ。
「山手の荒神社跡」付近に
「山手の五輪塔群 三基」がある。南北朝時代の陶山氏の墓と考えられるそうだ。
古い五輪の塔だけに存在感がすごい。
その五輪の塔の横に新四国霊場の霊場が二つある。
では荒神社跡から下りよう。
次はバス道へ行く。
夾竹桃の大木と花。
吉田小学校の「野口英世像」。
笠岡市内の学校(校庭)では唯一の「野口英世像」。
吉田公民館に建つ「石井村長彰徳碑」。昭和13年建立。
碑文は興譲館の山下校長。
バス道に面した「吉岡製麺」。
吉岡製麺を過ぎ、「吉田バス停」の手前。
写真左端に見えるのが「山の神のみちしるべ」。
「右かさおか 左こうのしま」。巡礼者ようの道標。
矢掛方面から巡礼の人は、ここで左折して今井を通り、冨岡の樋守の土手を歩き、横島瀬戸から船で神島に渡ったのだな。
映画「花の講道館」の撮影にも使用された醤油屋さんの倉。あれから半世紀を経て重厚感が一層増した(ように感じる)。
その醤油屋さんの倉の田んぼを挟み南側に大師堂があり
「山の神の地神さま」と「山の神の廻国納経塔」がある。
写真右の円柱が「山の神の廻国納経塔」で、六十六部供養塔。寛政10年(1798)のもの。
「山の神の地神さま」は五角柱。嘉永7年(1854)。
地神さまの隣には牛の供養塔が数基並んでいる。
普段は農家の人が通るだけの道だが、これほどに「山の神の廻国納経塔」他がここで祀られているという事は
かつて、小田や矢掛からの商人や旅人はこの道を通り笠岡に行っていたのだろう。旧松山道だと思える。
このように
通り慣れた吉田の道だが「ふるさとよしだの史跡」という小史を手に持って行けば、いろいろな発見があって楽しい。
2012年8月3日