銅像の人  海外
 

自由の女神像 


場所・米国ニューヨーク市 リバティ島
制作・



2003年、ニューヨークのニューヨークシティマラソンに出場するためニューヨークに行った。
その前日に自由の女神像を見に行った。

バッテリーパークの港の船に乗ると、船の乗客は明らかに、アメリカ人のお上りさん、世界からの観光客であふれていた。


出港した船から見るニューヨークの摩天楼は素晴らしく美しかった。
乗船客は,海上から見る摩天楼を眺めて感嘆していたが・・・・
やがて、乗客全員が船の進行方向に姿勢を向き変えた。





すると、
(当然ながら)
自由の女神像が、小さな島に巨大に聳えていた。

船が島に近くなるほど乗客の感動する声が大きくなった。


(その頃、デジカメの電池マークが切れた( ;∀;)。上陸後に最初に土産店で使い捨てカメラを買った)

前年にツインビルがテロで倒壊し、自由の女神像に入ることは禁止されていた。
しかし、それがまったく気にならないほど、自由の女神像見物には感動があった。






(Wikipedia)
自由の女神像
( Statue of Liberty)


アメリカ合衆国のニューヨーク港内、リバティ島にある像である。正式名称は世界を照らす自由 (Liberty Enlightening the World) 。

概要
自由の女神像はアメリカ合衆国の独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され1886年に完成した。
アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴であるとともに、19世紀以来絶えることなく世界各地から観光客が訪れている。

銅製だが、緑青の為に緑色になっている。
像の頭の部分までの高さは33.86メートル、台座からトーチまでの高さは46.05メートル、台座の高さは47メートル、台座部分も含めると93メートル、総重量は225トンである。

右手には純金で形作られた炎を擁するたいまつを空高く掲げ、左手にはアメリカ合衆国の独立記念日である「1776年7月4日」とローマ数字で刻印された銘板を持っている。

足元には引きちぎられた鎖と足かせがあり、全ての弾圧、抑圧からの解放と、人類は皆自由で平等であることを象徴している。
女神がかぶっている冠には七つの突起がある。これは、七つの大陸と七つの海に自由が広がるという意味である。
台座部分にはエレベータが設置されている。エレベータの最上階(10階)からは像の中のらせん階段を上って王冠部分の展望台に登ることができる。
2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件後は安全のため、同展望台は閉鎖されていたが、2009年7月4日、独立記念日に合わせて約8年ぶりに再開された。
再開後は、同展望台に入場できる人数が1時間あたり30人まで、1日240人までと制限されたほか、入場には予約が必要となった。







撮影日・2003年11月1日

 


自由の女神 


場所・場所・米国ラスベガス市「ニューヨーク・ニューヨーク」
制作・




中学生や高校生の頃、ション・ウェィンやゲーリー・クーパーが活躍する西部劇が好きで、
といっても映画館にいけず少年雑誌や映画雑誌を見るだけで満足していた。

西部劇の舞台のモニュメントバレーは憧れを通り越して、夢みるような場所だった。
それから10数年後、日本はあっという間に経済成長して、アメリカは庶民でも行ける国になった。

その、少年時代に夢見ていたモニュメントバレー観光のため、2005年にラスベガスに行った。






ラスベガスの街は日本人では発想できない市街地を形成していた。
おったまげた。

特にホテル。
ホテルは皆巨大で、部屋数は2.000〜4.000。
建物の形はニューヨークあり、ベニスあり、ピラミッドあり、パリもある。
無料のショーがよかった。噴水や火山が爆発する。


いちばん記憶に強いのは、ホテルの駐車場の広さ、というか大きさ。
自分はマラソンをしていたので歩くのは苦にならないが、
ホテルの駐車場から自分の部屋までの距離は半端でない。


ツアーでいっしょだった、倉敷の姉妹さんの話し。
別料金を払ってまで「ピラミッド形」のホテルに泊まったが、
「外観はいいが、内部は廊下も部屋も窓も不自由(不自然な形)で失敗した」、
なるほどなあと思った。


まあ、とにかく発想外の街だった。






(Wikipedia)
ニューヨーク・ニューヨーク

開業 1997年1月3日
部屋数 2,024
遊戯施設面積 7,800 m2

ニューヨーク・ニューヨーク・ホテル&カジノ(New York-New York Hotel & Casino)は、アメリカ合衆国ネバダ州ラスベガスにあるカジノホテルである。
1920年代ごろのニューヨークマンハッタンをイメージしていて、自由の女神、ブルックリンブリッジなどのイミテーションがあり、
客室棟はエンパイアステートビルディング、クライスラービルなどのレプリカになっている。

敷地内に設置されているジェットコースター「ビッグアップル・コースター」は、浅草花やしきのローラーコースターなどで知られる日本のトーゴ社によるもので、
カジノのゲームに影響を与えない程度の振動対策と、客室のすぐそばを走る際の騒音対策から採用に至ったもの。







撮影日・2005年6月19日


 


内山完造 


場所・中国上海市
制作・



内山完造と内山書店が、久しぶりに全国に紹介された。






【NHK】

魯迅ゆかりの「内山書店」 中国 天津に復活 日中文化人が交流
2021年7月11日 4時36分

戦前の中国 上海に日本人が開業し、文豪の魯迅など日中の文化人の交流の場となっていた著名な書店が中国の天津に復活し、ゆかりの関係者が出席して式典が行われました。
岡山県出身の内山完造が上海に開業した内山書店は戦前、日中の文化人の交流の場となり、文豪の魯迅が頻繁に通ったことで知られています。

内山書店は、その後、東京にも開店しましたが、上海の店は終戦とともに閉店していました。
ところが、天津のテレビ局のディレクターだった趙奇さん(38)が内山書店に関する番組を制作したことがきっかけとなり、地元政府の協力を得た企業が東京の店から商標権を取得して、中国で戦後初めて天津に復活させました。

10日は開店を祝う式典が行われ、東京で内山書店を経営する内山深さんがビデオメッセージを寄せ「中国に再び開店させることは、数十年来の夢でした。皆さんの支援に感謝します」と述べました。
また、式典に参加した魯迅の孫の周令飛さんは、「上海の店はまだ復活していないが、みんなの努力で必ず戻ると信じている」と話していました。
店長となった趙奇さんは「もし私が内山完造が行ったことの1%でもできれば、両国関係に貢献できると思う。よい店長となるとともに、よき友人となりたい」と話していました。

 




撮影日・2016年3月12日


 
 

魯迅 

場所・中国上海市






【時事通信】
魯迅ゆかりの書店復活 中国で1945年以来

【天津時事】中国の文豪、魯迅ゆかりの書店「内山書店」が10日、天津市で開業した。
中国での「内山書店」の営業は1945年以来。
開店式に出席した魯迅の孫、周令飛さんは「祖父が生きていればとても喜ぶと思う」と語った。
1917年に上海で開店した内山書店は当時の日中文化人が集う場となり、特に魯迅と創業者の内山完造の交流は有名。
35年に「中国を知る書店」として東京でも開業したが、45年に上海店は閉店した。
天津のテレビ局ディレクターだった趙奇さんが最近、内山書店の番組を制作したことがきっかけとなり、天津での「内山書店」復活につながった。
天津の内山書店は市内のショッピングモールにある。
東京の内山書店と経営や資本の関係はないが、多数の日本関連書籍を扱い、日中の文化交流の場となることを目指している。 







撮影日・2016年3月12日

 
 











作成・2021年10月7日   追記・2021年10月15日