銅像の人  高知県
 

寺田寅彦 

場所・高知県高知市追手筋 「オーテピア」前


学生の頃、一度は読む本の中に田宮虎彦の名作「足摺岬」がある。
その田宮虎彦と寺田寅彦は同一人物だと思い込んでいた。

今回寺田寅彦の像を見て別人だと、この歳になって気がついた。(汗)

ねえ君
ふしぎだと思いませんか


呼びかけるようなことば、いいね。





(寺田寅彦記念室Web)

物理学者、文学者。物理学者としては、初期にX線に関する研究を行い、学士院恩賜賞受賞。
また、震災に関する研究も多く、「天災は忘れられたる頃来る」などの言葉で有名。
寅彦の研究はあまり経費をかけないものが多いが、着想は素晴らしく、実証を重んじた。

文学者としては、主に随筆を執筆。
科学者のまなざしで日常を切り取った随筆の他、「団栗」など叙情性に富んだ優れた小品を残している。




(銅像の向かい側、寺田寅彦の母校・大手前高校)




撮影日・2021.12.23




 


純信・お馬  


場所・高知県高知市はりまや町  (はりまや橋たもと)








♪土佐の高知のはりまや橋で 坊さんかんざし買うをみた ヨサコイ ヨサコイ

純信は五台山・竹林寺の坊さん、お馬は鋳掛屋の娘。
この二人が恋愛で、お騒がせになった一因に年齢差があったように思える。
かんざしを買ったとき、純信は37才、お馬は17歳。
当時の年齢でいえば完全に親子の差があり、世間の好奇心の的。





二人は恋愛を成就することはできなかったが、
別の人生を歩み、天寿を全うしたそうだ。




撮影日・2021.12.23



 
 


野村茂久馬翁

場所・高知県高知市丸ノ内 (高知城内)




銅像の横に『野村茂久馬翁 吉田茂』 と銘板がある、知らんなあ。






(Wikipedia)
野村 茂久馬は、「土佐の交通王」と呼ばれた実業家。
坂本龍馬先生銅像建設会会長。財団法人板垣会会長。桂浜・坂本龍馬先生銅像の建立責任者。
高知城公園・板垣退助先生銅像の再建責任者。







高知城の片隅にひっそりと建っている。


撮影日・2021.12.23


 
 


くれ坊 


場所・高知県高岡郡中土佐町久礼


久礼は「くれ」と読み、久礼は「土佐の一本釣り」の港町。
久礼の、駅や市場や商店街にいるのが「くれ坊」。









発鰹

「目に青葉 山ほととぎす 初鰹」
冬の間暖かい海を周遊していたカツオがついに土佐沖にやってきます!


ミジカの新子

メジカの新子(幼魚)は釣りあげてから半日だけ刺身で味わえます。
近年大人気。


戻りカツオ

太平洋を回遊するカツオが再び土佐沖に戻ってくる秋の戻りカツオ。
大きく肥えて、赤身の味と脂の乗りのバランスが絶妙なものがあります。
「トロガツオ」と呼ばれたりもします。



うるめ鰯

体長15cmの小さな魚も、久礼では一本釣り。
鮮度落ちの早いイワシでも、刺身でいただけます。

久礼お宮さん通り商店街パンフレット








撮影日・2021.12.23







 

武市半平太先生・坂本龍馬先生・中岡慎太郎先生の像

場所・高知県高知市  高知駅前

高知には自家用車や観光バスで行くので、高知駅前は意外や、初めてだったのかもしれない。
駅前に建つ三人の”先生”像は大きくてびっくりした。





「日本の城下町10四国」 ぎょうせい 1981年発行

幕末の群雄

土佐藩の上士対下士の階級内争は幕末期にいっきょに表面化した。
藩主と藩当局の上士が公武合体であるのに対抗して、
武市半平太を首領とする郷士層の下士集団は尊王攘夷運動に踏み出した。

開明・佐幕の執政吉田東洋の暗殺は、藩当局の下士弾圧をきびしくし、
脱藩者が相ついた。

坂本竜馬も中岡慎太郎も脱藩浪士であった。
しかし天下の政局は藩を軸に動いた。

上士の後藤象二郎は龍馬と組んで大政奉還の舞台回しを演じ、
板垣退助は土佐藩討幕派を率いて官軍の将となった。










撮影日・2021.12.23











作成・2021年10月11日  追記・2022年1月12日