銅像の人  香川県
 

平和の群像(二十四の瞳) 

場所・香川県土庄町   土庄港  
制作・矢野秀徳 1956年



子どもの頃、映画は娯楽の王様だった。
映画を見ることが一番の楽しみだった。
その後テレビやビデオでも映画を見ろことができ、笑ったり、泣いたり、感動したり、家でできるようになった。

好きなのは東映の痛快時代劇で、剣を振り回して悪者を斬るのが見ていて楽しい。
その分野でいえば内田吐夢監督、中村錦之助主演の「宮本武蔵」が最高傑作と思っている。


では時代劇や現代劇を合わせて最高傑作は?
となると木下恵介監督、高峰秀子主演の「二十四の瞳」、これが戦後の邦画の最高傑作に違いない。
映画の終盤、目が見えなくなって復員した磯吉(田村高広)が写真を指さして「この写真はな、・・・見えるんじゃ」のシーンには、
いつ見ても目から涙が飛び出してくる。








DVDも販売されている、宣伝文句は

「日本中が涙した 名匠・木下惠介 後世への最大遺物」。

そう思う、”後世への遺物”に異議はない!









撮影日・2010年11月21日


 


二十四の瞳 (映画村)


場所・香川県小豆島町田浦  二十四の瞳映画村



戦後の日本人にとって、じつは国民こそが軍を支持していたという事実を忘れてしまいたい。
戦争では日本国民こそが被害者だったと主張する反戦映画が盛んに作られ、
そこには相手側のことは描かれなかった。


その意味でもっとも見事な表現が、1954年木下恵介監督の「二十四の瞳」にある。
最初楽園のような生活描写にあてられていて、これが素晴らしい。
まもなく学校が軍国調になってくるとそれが嫌な先生は教師を辞職してしまう。

そして戦後、生活のため復職した先生は往時を回顧してすっかり感傷的になる。
教え子たちが何人も戦死していたからである。


「映画の真実」  佐藤忠男  中公新書 2001年発行









戦後に日本では、「二十四の瞳」に限らず、戦争を反省した映画がたくさん作られた。
その主流を占めていたのは戦争では日本人自身もひどいめにあったから、もう戦争は嫌だ、というものだった。
「真空地帯」「ひめゆりの塔」「きけわだつみの声」、そして数多くある特攻隊を扱った作品。
それらの作品に日本人は納得する。

戦争ではアジアの人々をひどいめにあわせた。
だから反省しなければならない、ということを主題にしている作品は滅多にない。
「戦争と平和」「嵐の中の母」「人間の条件」、そして日中合作「未完の対局」ぐらいだろうか。


大石先生は、軍国教育に手を汚さない。
傷痍軍人・磯吉の、戦地での殺し合いや非人道的な行動はスルーしている。

木下監督は、戦争相手国(中国)と合作で、「二十四の瞳」では表現できなかった映画を画していたそうだが、
残念ながら実現できずに亡くなった。


この映画は、日本映画史上最良の作品の一つであると評価している。
しかし、あとで考えると疑問も生じるのである。

戦死した教え子たちは、あの無邪気なあどけない少年のまま死んだのではない。
敵兵も殺しただろうし、なかには残虐行為をやったものもいたかもしれない。
まるで純真無垢のままに戦争の犠牲になっただけであるような錯覚が生じる。

先生自身、学校が軍国調になると退職して手を汚さずにすんだように、
これでは全く一般の日本人には戦争責任がなかったかのようである。

・・・

「二十四の瞳」はまだ国交もなかった時期に中国でも上映されているが、
有名な謝晋監督は、当時これを見て感動し、そして
戦争では日本人も被害者だったということがこの映画で分かって感動したといった。
すぐれた作品である。しかし
日本人としてはそれで涙を流しているだけでよかったのか。


「映画の真実」  佐藤忠男  中公新書 2001年発行








撮影日・2007年5月3日

 
 


モアイの像 


場所・香川県高松市女木島
制作・


南太平洋に孤島のチリ領イースター島があり、モアイの巨像で有名。
イースター島には大小で9.000体のモアイがあるそうで、
香川県にも1体のモアイがある。
当然レプリカだが、実物とほぼ同じものだそうだ。





モアイは女木港の近くにあるが、
港に近い集落はオオテと呼ばれる石垣が有名。
防風防潮用が目的だが、その高さと頑丈さは貴重な民族遺産と思える。



撮影日・2007年8月16日

 
 


女木島の鬼 


場所・場所・香川県高松市女木町 (女木島)
制作・




ここは鬼ヶ島。
鬼が住むのは洞窟の中。


鬼は島で平和に暮らしていたが、ある日突然、不法侵入してきた桃太郎たちに攻め込まれた。
また、別の話もあり、
鬼は人さらいをしたり、金銀を盗む悪さをしていたので、正義の桃太郎さんに攻められた。

伝説は各地いろいろあるが、
桃太郎を”日本一”と呼称さすならば、悪を退治したという部分が必要になり、
また女木島の鬼を、「桃太郎伝説」にリンクさすなら、不幸にも女木島の鬼は、「悪い鬼」になってしまう。










鬼が住むのは”鬼ヶ島大洞窟”とよばれ、 鷲ヶ峰の山頂ふきんにある。
鷲ヶ峰からは、瀬戸内海のすばらしい景観を眺めることができる。↓






(女木島の名物・オオテ)





撮影日・2007年8月16日


 


岡崎金次郎

場所・香川県小豆郡土庄町豊島 壇山岡崎公園


東京では豊島(としま)だが、
広島県に豊島(とよしま)があり、
香川県は豊島(てしま)と、手島(てしま)がある。間違いやすい。

岡山県宇野港から豊島(てしま)に定期航路がある。
今は隣の直島と共にアートの島として人気の島。

島の中央に檀山が聳えている。
その檀山山頂は公園で、銅像が立っている。






銅像に銘板がある、それを写す。

岡崎金次郎
明治13年豊島唐櫃に生まれ、明治26年東都に出て明治43年石材業及び建設業を興す。
関東大震災の復興並びに鉄道建設工事に活躍し、著名なる土木建設工事を完成せり。
晩年豊島の開発に着眼し私財を投じて、広大なる地域に桜を植樹され観光事業に寄与せられた。
また財団法人岡崎育英会を創設せられた。
茲に銅像を建立し翁の業績を永久に奉讃するものなり。
昭和37年4月
発起人 土庄町町長、議長、その他






檀山は標高340m、すそ野は広いので、二つある港のどちらから登っても、結構な運動量になる。
山頂の公園はほぼ360度のパノラマで、展望もすこぶるいい。








広いすそ野は棚田で、
段々畑の多い瀬戸内海の島々では、比較的珍しい風景を見ることができる。
棚田はよく守られ、青い海や島々の眺めが美しい。






撮影日・2011.9.28





 
 











作成・2021年10月10日 追記・2021年10月20日