銅像の人  宮城県
 

伊達政宗騎馬像 

場所・宮城県仙台市青葉区川内

仙台を睥睨(へいげい)する独眼竜
建立・1964年(昭和39年)







「独眼竜」として名高い奥州の覇者。
元は米沢、次いで会津が本拠地だった。
江戸時代になって仙台藩初代藩主となり、
現代の仙台繁栄のもとを築いた。
銅像は市街を一望できる仙台城本丸に立ち、
第二次世界大戦時に供出されたので、
現在のものは2代目。
記念写真のメッカだが、逆光になりがちで撮影は難しい。

「日本の銅像完全名鑑」 廣済堂出版 2013年発行











撮影日・2018年8月6日


 


魯迅 


場所・宮城県仙台市青葉区川内









魯迅

1904年(明治37)秋、1人の中国人留学生が、医学の道を志し、東北大学の前身である「仙台医学専門学校」に入学しました。
彼の名は周樹人(しゅう じゅじん/チャオ シューレン)。
のちに『狂人日記』や『阿Q正伝(あきゅうせいでん)』等の作品によって中国文学に新しい息吹を吹き込み、
近代中国を代表する思想家として活躍した作家「魯迅(ろじん/ルーシュン)」その人です。

留学生・周樹人の仙台での生活は、たった1年半にすぎません。
しかしこの仙台にて、彼は「文学」の道を進むことを決心しました。
彼がのちに作家「魯迅」として執筆した短編小説「藤野先生」には、
異郷の地仙台での学生生活、文学への転向を決意する彼の心の動きが、ひとりの教師との交流を素材として綴られています。
この展示では、東北大学に遺されている資料をもとに、若き日の魯迅=周樹人の仙台での留学生活をご紹介したいと思います。

【東北大学史料館】












撮影日・2018年8月6日
 



支倉常長像 


場所・宮城県仙台市青葉区川内



「日本の銅像完全名鑑」 廣済堂出版 2013年発行

伊達政宗の命を受けてヨーロッパに派遣され、スペイン国王やローマ教皇に謁見した。

佐藤忠良によ同型の銅像は、石巻市のほか、スペイン、イタリア、メキシコなどに立つ。


















撮影日・2018年8月6日


 
 


土井晩翠胸像 


場所・宮城県仙台市青葉区川内


「日本の銅像完全名鑑」 廣済堂出版 2013年発行

明治に仙台に生まれ、

昭和初期に活躍した詩人、英文学者。

滝廉太郎が作曲した「荒城の月」の作詞者として知られる。

全国各地の学校の校歌を作詞したことでも有名。









土井晩翠(像の説明文)

晩翠は本名を林吉といい明治四年(一八七一年)仙台市北鍛冶町の質商土井七郎兵衛の長男として生まれた。
明治十一年、培根小学校(今の木町小学校)に入り、のち立町小学校に転校、仙台英語学校、旧制第二高等学校を経て、明治三十年東京帝国大学英文科を卒業、
明治三十三年母校二高の教授として帰仙した。
その間、三十一年に不朽の名作「荒城の月」を詩作発表、
続いて第一詩集「天地有情」を処女出版した。
島崎藤村の「若葉集」におくれること二年の明治三十二年、晩翠の二十八才から二十九才にかけての頃であった。
のち六つの詩集や数多くの随筆など出版した。
昭和二十二年日本芸術院会員、二十四年仙台市名誉市民に推され翌二十五年、文化勲章を受章され
昭和二十七年十月十九日、仙台市本荒町の晩翠草堂で情熱の詩人としての八十一年の生涯を閉じられた。
この碑は昭和二十七年、晩翠会等によって建てられたものです。




撮影日・2018年8月6日


 
 













作成・2021年10月8日 追記・2021年10月15日