銅像の人  島根県
 

因幡の白うさぎ 

場所・島根県出雲市    出雲大社
















撮影日・2014年4月28日


 


山中鹿之介像 


場所・島根観安来市広瀬町  月山富田城
建立・1978年(昭和53年)




「尼子十勇士」の筆頭

尼子氏再興のために毛利氏と戦い、織田信長に支援を求めるなどの奮闘をみせる。
「我に七難八苦を与えよ」と祈った逸話が残る。

「日本の銅像完全名鑑」 広済堂出版 2013年発行









山中鹿之介

山中鹿之介といえば、戦前には講談はもとより、教科書にまでのった話は有名である。
山の端にかかる三日月をあおいで、
「われに七難八苦をあたえたまえ」
と祈ったという場面である。

主家再興のために骨をくだいて奔走する姿が、戦前の忠君愛国の精神教育に格好の題材となったのである。
彼の人生ドラマを華やかにいろどるのは、主家尼子家再興のために戦う、その執拗なゲリラ活動にあるだろう。

「戦国武将100話」  桑田忠親 立風書房 1978年発行






撮影日・2020年10月28日




 
 



堀尾吉晴像 

場所・島根県松江市  松江城



愛知県生まれで、織田信長や豊臣秀吉に仕え、関ケ原合戦後、

松江に転封された大名。

松江城と城下町を開発したが、吉晴は城の完成直前に急死している。

「日本の銅像完全名鑑」 広済堂出版 2013年発行








「戦国武将100話」  桑田忠親 立風書房 1978年発行

堀尾吉晴
鬼神の働きホトケの茂助


秀吉は堀尾吉晴の武功について、
「吉晴は、わしが藤吉郎といった時代からの家来で、幾度もの合戦に出撃しているが、
その武功は万人にまさり、源頼光の四天王にも匹敵する」

信長の浅井攻めでは、敵の斥侯を討ち取り、長篠の役で首二級をとっている。
中国の毛利攻めでは身に13ヶ所の傷を負うという大奮戦だった。
明智討伐の山崎の合戦、柴田勝家を破った賤ケ嶽の合戦と、吉晴の武名は合戦のたびに高まっていった。


吉晴はふだんは温厚で、容貌は一見して女のようにやさしかったという。
「仏の茂助」とあだ名されたぐらいであった。

秀吉の死後は、徳川家康に近づいている。












撮影日・2019年4月4日


 
 



足立全康 

場所・島根県安来市古川町    足立美術館






足立全康

足立全康は明治32年(1899)2月8日、能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町:美術館所在地)に生まれました。
小学校卒業後すぐに、生家の農業を手伝いますが、その後紆余曲折、
様々の事業を興し、戦後は大阪で繊維問屋、不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集して、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになっていました。
また若い頃から何よりも好きであったという庭造りへの関心も次第に大きくなっていったのです。そしてついに昭和45年、71歳の時、郷土への恩返しと島根県の文化発展の一助になればという思いで、財団法人足立美術館を創設しました。

足立美術館Web









撮影日・2015年12月20日



 

xxx像 

場所・島根県xx







撮影日・xxxx












作成・2021年10月10日  追記・2021年10月14日