広島県(備後) |
旅立ちの法然さま 場所・広島県三原市西町 大善寺 三原市街地の東西に「旅立ちの法然さま」が二体ある。 (大善寺) 法然 法然(1133〜1212)は1145年比叡山に登り、皇円に師事した。時に13歳である。 父は美作の国久米南条の稲岡荘の押領使の職にあったが、法然9歳の時攻撃されて死んだ。 父は法然に、復讐をくれぐれも断念するよう遺言して絶命した。 母も殺害されたか自害した。 幼くして法然は悲惨な孤児の世界に投げ出された。 保元元年(1177)43歳の時、東山大谷に住み、 南無阿弥陀仏を唱える称名念仏の主張を決定化し、念仏流行をもたらせた。 彼によれば、比叡山で教えているような高遠な教義や困難な修行では、一日を生きることの精一杯な大衆はとても救われない、 この大衆とともに生き、大衆の心に希望の灯火を点ずるためには、口に念仏を唱え、ただ阿弥陀如来を信ずるだけでよい、 という一向専修の念仏がなによりも必要である、と考えた。 「鎌倉仏教」 戸頃重基 中公新書 昭和42年発行 撮影日・2013年12月7日 |
xxx像 場所・広島県xx市xx町 撮影日・xx年xx月xx日 |
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作成・2021年10月10日 追記・2021年10月14日