銅像の人  広島県(備後)
 

小早川隆景 

場所・広島県三原市本町










「あなたの知らない広島県の歴史」 山本博文 洋泉社 2012年発行

三原駅裏の小早川隆景

豊臣秀吉は得意の絶頂にあった。
しかし、高齢であった秀吉は、幼少の秀頼を残して死ぬことを何よりも心配していた。

自身の死後の安定を図り、有力者に幼い秀頼を補佐させなければないと思い立った。
そして当時秀吉に次ぐ地位を誇った徳川家康、前田利家、毛利輝元、小早川隆景、宇喜多秀家の5人の大名に対して、
豊臣政権における政治上の最高顧問を委嘱し、のちのことを託したのである。














撮影日・xx年xx月xx日


 


聖トーマス小崎 


場所・広島県三原市城町  (三原城跡)



三原城は、もし大部分が現存していたら、瀬戸内海に浮かぶ”浮城”として大観光地になっていたに違いない。
その三原城の遺構に「聖トマス小崎少年」像と碑文がある。

14歳で処刑されたそうだ。






銅像に並んで碑分がある。

聖トマス小崎少年について
「私のこともミゲル父上のこともご心配下さいますな。
天国の全き幸福を失わぬよう努力なさいますよう。
人からいかなることを受けようと耐え、すべての人に、大いなる慈悲をかけられますよう。
陰暦十二の月二日 安芸の国、三原城にて」

一五九七年、豊臣秀吉のキリシタン弾圧において長崎西坂の丘で処刑された殉教者二十六人の中に、
十四才のトマス小崎がいた。
京都から長崎へ護送される途中三原にて伊勢の母マルタに書いた別れの手紙の一部である。
処刑後父ミゲルの襟元から発見され、その訳はローマに保管され日本二十六聖人の一人として、世界の人々にあがめられている。
このけなげな少年の心を末永く伝えるために、城址に近いこの地に碑を建立した。
一九九三年一月十七日 三原カトリック教会










撮影日・2013年4月14日

 
 


石仏


場所・広島県三原市   仏通寺













撮影日・2004年11月23日

 
 


弘法大師 


場所・広島県世羅郡世羅町甲山(こうざん)


甲山の今高野山は、秋の紅葉が見事だが、
他にも温泉あり、お城あり。
いつ訪れても、それなりに楽しめる。

その門前町は「今高野山通り」商店街で、商店街の歓迎門の上にお大師さんの像がある。








お大師さんの像は、寺院や霊場や観光地にあり、おそらく日本一多いのではなかろうか?
その数あるお大師像でも、甲山のお大師さんは地上から高いので、記載した。

世羅町は花の観光農園で有名だが、おちついた雰囲気の今高野山詣りも趣がある。








撮影日・2013年5月6日


 

神石牛 


場所・広島県 油木








撮影日・2013年4月19日


 
 

 









作成・2021年10月10日  追記・2021年10月14日