銅像の人  広島県福山市
 

桃太郎 

場所・広島県福山市新市町宮内  「吉備津神社」(いっきゅうさん)



平安時代に制定されたといわれる全国の「一宮」、
備前・備中・備後の一宮は、
吉備津彦神社・吉備津神社・吉備津神社とすべて”吉備津”がつく。

備後一宮は「吉備津神社」であるが、地元では「いっきゅうさん」と呼ばれ、市民に親しまれている。






桃太郎
日の丸も背負った童話の英雄


小波が銅像建立を提唱
明治中期以降、童話作家の巌谷小波(いわやさざなみ)がまとめた『日本昔噺』や国定教科書などで、
おばあさんが川で拾った桃から生まれた桃太郎が、鬼ヶ島で鬼を退治して宝物を持ち帰る現在のような「桃太郎」が
「国民童話」として広まり、定着した。


小波は未来の国民を教育するには最適な教材だとして「国民教育のシンボル」で各地に銅像建立を唱えた。
一方で福沢諭吉は、
桃太郎は鬼が大事にしてきた宝物を取った盗っ人だと説いた。
芥川龍之介は小説「桃太郎」で、平和に暮らしていた鬼を侵略する桃太郎だ。

実は明治27年の小波の最初の『日本昔噺』では、
鬼退治に行く理由が「鬼たちがわが神皇の皇化に従わず」と記され、
皇国を背負って戦いに行く桃太郎だった。
その後の改訂で、鬼退治の理由が削除され、鬼は理由もなく攻められる。


太平洋戦争時は、
侵略の正当化や戦意高騰に利用され、桃太郎は日の丸を背負った。
戦後は、
軍国主義を払拭して再登場した。

「銅像歴史散歩」 墨 威宏 ちくま新書  2016年発行










撮影日・2018年11月24日


 


母子像 


場所・福山市大門町   銀河学院












撮影日・2005年8月13日

 
 


水野勝成 


場所・広島県福山市丸の内  福山城公園


福山藩の誕生
カリスマ武将・水野勝成


福島正則の改易により神辺城と築城中の鞆城が明け渡され、元和5年(1619)に大和国郡山から水野勝成が備後国南部に転封されました。
備後国7郡と備中国2郡を支配する10万石大名の格式を得ました。
勝成は徳川家康と従兄弟にあり、ともに百戦錬磨で戦国の世を潜り抜けた間柄で、「鬼日向」とも称されたように、戦場では先陣を切る武断派として名をはせました。
75歳まで藩政に君臨し、88歳という長寿をまっとうしたことも、勝成のカリスマ性を高めたことでしょう。

寛永15年(1637)、キリシタンが蜂起した島原の乱を鎮圧するため、
幕府は諸藩の軍事力を大動員し、勝成は家臣団をはじめ領民をも徴発して約6.000人の軍団を編成しました。
従軍した勝俊親子の軍功を勝成が称えています。
また熊本城受け取りの動員も大きな出来事でした。
軍団派遣は、家臣団の士気を高め、指導者である勝成に臣従させる絶好の機会でした。

城下町建設に加えて、勝成・勝俊親子は大規模な新開地造成をおこないました。
領民に扶持を与えて普請に動員し、増員が必要な場合には、鞆や笠岡の町場から労働力を補充しました。
寛永の飢饉に襲われてからは、百姓が飢えて農業を続けていけないので、農閑期に扶持を与えて新田開発に使った点も注目しておくべきでしょう。
「走り百姓」(他領に逃げ出すこと)を出さない措置でもあり、失業者救済のための公共事業と同じ役割を果たしていました。

「福山市史 原始から現代まで」  福山市  2017年発行








「広島県の歴史散歩」  広島県の歴史散歩研究会  山川出版社  1976年発行


福山城跡

近世福山の歴史は、水野勝成が神辺から芦田川河口の常興寺山にうつして築城させ、元和8年(1622)福山城として完成したことにはじまる。
築城にあたっては一国一城令によって解体された伏見城の遺構のうち松の丸櫓・火打ち櫓・月見櫓・筋鉄御門・御湯殿などを拝領し、
城壁の石は瀬戸内海の白石島・北木島から運び、木材は遠く東北地方からもはこばれたといわれている。

城の完成後は城下町の形成にも力を入れ、
武家屋敷・町屋・大工・医者・寺院などの配置を考えており、
さらに神田上水についで全国でもさきがけとなる上水道を敷設し、
干拓地のうえに近世でもっともすぐれた市街地を完成させた。
のち水野家が断絶した後は松平氏・阿部氏の居城となったが、明治維新のさい建物の多くはとりこわされた。









「日本名城100選」 鳥羽正雄監修  秋田書店 昭和44年発行

福山城

福山城は一名、葦陽城という。
水野勝成が築いた名城である。時に元和6年(1620)のことである。
前年に備後半国(西部)10万石を与えられた勝成は最初、神辺城にいたが、
神辺城は山城で規模もさして大きくなかったため、躊躇なく常興寺山(今の福山城)に新しい城を築こうと決した。
五層の複合天守を中心に、23基の櫓を周囲に乱立させた。
勝成は城下の整備にも心をくばった。
河口を埋め立て30余町の城下を建設し、上水道を敷いた。
街の縦横にクリークを張り込ませ、そこから木や竹製の樋で水を流していた。






撮影日・2018年3月29日

 
 


人間スタチュー 


場所・広島県福山市  「バラ祭り」









撮影日・2019年5月18日


 
 
二上がり踊り(にあがりおどり)

場所・広島県福山市笠岡町

福山市を代表する盆踊り。
毎年、お盆には市内のほぼ全域の商店街を踊り歩く。






哀愁ある踊りだが,見方によれば地味。
観光としては無理だが、伝統的な盆踊りとして味がある。

踊りの始まりは、
江戸時代末期、”江戸詰の福山藩士によって伝えられたものと思われる”そうだ。







撮影日・2021年11月27日











作成・2021年2月20日 追記・2021年12月19日