銅像の人  岡山県(備中)
 
 


吉備真備


場所・小田郡矢掛町三成  吉備真備公園
ブロンズ
作者 久保田淑湧
像高 500cm 台高 140cm
昭和63年 矢掛町建立
岡山文庫



遣唐留学生(717〜735)
天文学、暦学、測量学、儒学、音楽、農学、兵法等を修めて帰国
遣唐副使(752〜754)
右大臣(766〜771)
775年、81才で死去
岡山文庫

















撮影日・2014年4月7日

 
 


太鼓田植え 


場所・新見市哲西町 道の駅「鯉が窪」


牛、太鼓、早乙女、田植え唄がセットになった行事。

岡山県の北部、広島県の北部に多い。





太鼓田植

「太鼓田植」は備中北部で伝承されている田植え行事であり、「はやし田植え」とも呼ばれています。
「太鼓田植」は古くは田楽として平安時代から伝えられるものとされています。
田植歌は、田の神への豊作祈願の意を込め、地区の共同労働の習俗と結びあって発達しました。

昭和30年(1955年)頃まで、新見市の神郷地区や哲西地区では田植歌が聞こえていましたが、一時途絶え、現在は、地域の保存会により後世への伝承活動が行われています。

高梁川流域連盟web









撮影日・2010年8月16日

 

 


通学船 


場所・岡山県浅口市寄島町



管理人が小学生の時は、
笠岡市に有人島が9島あり、うち2島(片島・小飛島)に小学校がなかった。

片島は神島へ渡船があり、大人も子供も渡船で渡っていた。今も渡船場跡がいくらか残る。
小飛島は、たぶん旅客船を使用しての大飛島への通学だったと思える。


寄島では三郎島の子供たちが、子どもだけで海を渡って学校に通っていた。





通常は干潟の浅瀬を通学路にして、潮の干満を気にしながら早足で渡ったようだが、
それでも距離があり(1km以上)通学路は潮が引いたばかりの不安定な場所。
想像しても苦難、特に下級生は気の毒な通学だった。



潮によっては「通学船」での通学だった。





「寄島風土記」

冷たい冬の朝、襟巻で顔を包み、潮風に吹かれて1キロに及ぶ干潟をトボトボ歩いて海を渡り、
堤防に辿り着いて上級生が下級生をいたわりながら、しばし焚火を囲んで暖をとり、
隊列を正し学校に急ぐ子供たちを見て、大人は「三郎の子供じゃのー、可哀そうに」と同情の言葉で見送っていた。

潮の都合では朝5時ごろから渡らねばならぬ日もあった。
帰りも干潮時には歩いて渡った。
短い冬の日は昏れが早い。もう島の家には明りがついている。
潮騒に追い立てられ、満ち潮に追いかけられての家路を急いだ子供たちであった。


潮が満ちている時には通学船に乗る。
島の子供全員が10人位乗れる櫓で漕ぐ小舟である。
暴風雨の時は欠航する。
櫓は上級生が漕ぐ。
波風がある時は不安におののき、命がけの通学であった。





撮影日・2021年6月20日



 


xx 



場所・岡山県xxx









撮影日・xx年xx月xx日












作成・2021年10月9日 追記・2021年10月20日