岡山県(備中) |
吉備真備 場所・小田郡矢掛町三成 吉備真備公園 ブロンズ 作者 久保田淑湧 像高 500cm 台高 140cm 昭和63年 矢掛町建立 岡山文庫 遣唐留学生(717〜735) 天文学、暦学、測量学、儒学、音楽、農学、兵法等を修めて帰国 遣唐副使(752〜754) 右大臣(766〜771) 775年、81才で死去 岡山文庫 撮影日・2014年4月7日 |
太鼓田植え 場所・新見市哲西町 道の駅「鯉が窪」
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通学船 場所・岡山県浅口市寄島町 管理人が小学生の時は、 笠岡市に有人島が9島あり、うち2島(片島・小飛島)に小学校がなかった。 片島は神島へ渡船があり、大人も子供も渡船で渡っていた。今も渡船場跡がいくらか残る。 小飛島は、たぶん旅客船を使用しての大飛島への通学だったと思える。 寄島では三郎島の子供たちが、子どもだけで海を渡って学校に通っていた。 通常は干潟の浅瀬を通学路にして、潮の干満を気にしながら早足で渡ったようだが、 それでも距離があり(1km以上)通学路は潮が引いたばかりの不安定な場所。 想像しても苦難、特に下級生は気の毒な通学だった。 潮によっては「通学船」での通学だった。 「寄島風土記」 冷たい冬の朝、襟巻で顔を包み、潮風に吹かれて1キロに及ぶ干潟をトボトボ歩いて海を渡り、 堤防に辿り着いて上級生が下級生をいたわりながら、しばし焚火を囲んで暖をとり、 隊列を正し学校に急ぐ子供たちを見て、大人は「三郎の子供じゃのー、可哀そうに」と同情の言葉で見送っていた。 潮の都合では朝5時ごろから渡らねばならぬ日もあった。 帰りも干潮時には歩いて渡った。 短い冬の日は昏れが早い。もう島の家には明りがついている。 潮騒に追い立てられ、満ち潮に追いかけられての家路を急いだ子供たちであった。 潮が満ちている時には通学船に乗る。 島の子供全員が10人位乗れる櫓で漕ぐ小舟である。 暴風雨の時は欠航する。 櫓は上級生が漕ぐ。 波風がある時は不安におののき、命がけの通学であった。 撮影日・2021年6月20日 |
xx 場所・岡山県xxx 撮影日・xx年xx月xx日 |
作成・2021年10月9日 追記・2021年10月20日