岡山県(井原市) |
加賀尾 秀忍 場所・岡山県井原市東江原町 「宝蔵院」 【モンテンルパの父】 井原市の偉人の一人だが、市の扱いが小さく思える。 もっと語り継いでほしい気がする。 「歌のよこはま」 富樫啓著 有隣堂 昭和54年発行 フィリピンの教戒師・加賀尾秀忍から、一通の便りが鎌倉の渡辺はま子宅に届いた。 「モンペンルパの歌」をみんなで作ってみた。 専門家に見ていただき、直していただければ幸い---詩と楽譜があった。 戦時中は軍の慰問で中国大陸をかけめぐり、天津で終戦。10ヶ月の捕虜生活を送った。 巣鴨刑務所の戦犯の慰問を続けていた。 詩は佐伯孝夫、曲は吉田正の両氏が目を通して、吹込みが行われた。 そのレコードはモンテンルパに送られた。 国交のないフィリピンに渡辺はわたりモンテンルパにたどり着いた。 刑務所で涙にくれながら声をかぎりにうたった。 歌はラジオ電波にのり、新東宝の映画も制作された。 減刑釈放運動も活発に盛り上がった。 加賀尾秀忍は「モンテンルパの・・」の曲がはいったオルゴールをもって、キリノ大統領に手渡した。 大統領は「師は音楽でわたしの心をうった」ともらした。 1ヶ月たった昭和28年6月28日、 死刑囚は無期に減刑して巣鴨へ移送、 懲役囚は全員釈放の発表があった。 帰還船白山丸(4.351屯)が横浜港大桟橋に接岸したのは翌月7月22日の朝だった。 われるような拍手に続いて、「モンテンルパ」の大合唱。 半年後、キリノ大統領は巣鴨入りした56人を全員釈放した。 あゝモンテンルパの夜は更けて 歌唱:渡辺はま子、宇都美清 モンテンルパの 夜は更けて つのる思いに やるせない 遠い故郷 しのびつつ 涙に曇る 月影に 優しい母の 夢を見る モンテンルパに 朝が来りゃ 昇るこころの 太陽を 胸に抱いて 今日もまた 強く生きよう 倒れまい 日本の土を 踏むまでは 撮影日・2016年4月15日 |
大塚棊Y先生之像 場所・岡山県井原市西江原町 興譲館高校 撮影日・2011年10月15日 |
野口英世 場所・井原市青野町 青野小学校 撮影日・2006年9月17日 |
鬼 場所・岡山県井原市美星町 鬼ヶ嶽温泉 鬼ヶ嶽”温泉”は無くなった。もう30年以上も前に。 町営施設や旅館が並んでいたけど、みな閉店した。 今は渓谷に残った秋の紅葉が見事。 そして温泉地の看板だった鬼が、県道を走るドライバーを無言で見ている。 撮影日・2004年11月20日 |
大山文雄先生胸像 場所・岡山県井原市西江原町 亀迫城山公園 西江原町生まれの母はよく、 本人が望んでいないのを無理に住民が引っ張り出し市長になってもろうた・・・そうゆう人望と感謝のようなことを話していた。 胸像の隣に説明板が建っている。 井原名誉市民 大山文雄先生胸像 先生は、初代井原市長を退任された年、平櫛田中先生に次いで二人目の井原市名誉市民に推戴されました。 先生の温和で公平無私な人柄を深く敬愛された田中先生は昭和44年、米寿を祝って石膏の肖像を制作して贈られました。 それから20年が経過した平成2年、この公園の完成を機に、かつて先生の先祖が住んで居られた縁のこの地に、 西江原町全町民と町外篤志の方々の協力を得て、この像が建立されました。 先生の人となりと略歴を記した「建立の辞」の碑が像の傍らに設置してあります。 また、先生の生家は井原市へ寄附され井原市適応指導教室「大山塾」として小中学校児童生徒の指導育成の場として活用されています。 「建立の辞」の大略 明治15年西江原町に生まれる。 日本大学法学部卒業、判事検事登用試験合格、陸軍法務官となる。 陸軍法務中将に昇進。昭和20年予備役となり帰郷。 その年、推されて西江原町長に就任したが、終戦処理で陸軍省法務局長となる。 その後帰郷、弁護士として活躍。 昭和28年井原市の誕生により衆望に応えて市長に立候補して当選。 連続3期12年、困難な新市建設に心血を注がれる。 昭和40年任期満了、勇退後は悠々自適の余生を送られていたが、 昭和47年,生家において91歳の天寿を全うして永眠される。 平成23年3月吉日 西町自治会 撮影日・2011年6月29日 |
作成・2021年10月9日 追記・2022年6月15日