岡山県(倉敷市) |
童と良寛 場所・倉敷市玉島 円通寺公園 石像 原作 平田郷陽 像高 260cm 台高 150cm 昭和41年5月15日建立 玉島ライオンズクラブ 岡山文庫 良寛 談・水上勉 玉島は、なんともいえないのどかなところなんです。 山は、いまはほんの公園です。 あそこを円通寺山といいましても、ほんの小高いものです。 越後の国上とか弥彦とかいったような、しかも北の海がすぐそこにずり落ちていて、波しぶきがかかるといったような険路がある・・・・・。 出雲崎なんてのはまた特に、黒縄の道といってもいいくらいの帯のような、険しいところでございますね。 だから、そういうところに育った良寛さんが、二十代で、のどかな南国で、全く越後と風光の違う、おだやかなところにいかれた。 そこで修業なすった長い年月というのが、どこかしらん子どもと遊ぶのどかな人をつくりあげていると思うんです。 国仙和尚が下さった詩がございますね。 ”お前は立派な境涯になった。 わたしはおまえに何かやりたいと思うけどもやるものがないので、 裏へいって木を一本切ってきた。 これをおまえ、杖にして旅に出よ、 眠たいときはこれをどっか壁に立てかけとけ” という詩なんでございます。 ・・・・ それから十年以上不明なんです。 行方不明です。 34,35歳の時出雲崎の町はずれの狭いところに破れ堂があり、不思議な人がいる。 乞食をして歩いて、お米が余ればスズメにくれてやっておる。 のぞいてみると、机が一つあり、書物が一冊あるきり、壁には自分の歌とか詩を書いて貼り付けている。 どうも、昔、橘屋を出て行った栄蔵さんに似ている。 良寛さんの思想は一貫していて、 伽藍を持ったり、お寺に座ると坊さんというものは堕落する、 真の禅生活というものは、やはり放浪乞食にあると。 腹が減れば托鉢してそれを得て、そして暮らせばいいんだ、と。 そういった思想の実践をやられたように見受けられます。 良寛さんもむしのいい人だったんだな。なぜ働かなかったんだろう。 わたしは、働いて自分のとるものをとって、余計にとれたら恵むという、それが清貧だと思うんです。 もろうて逼塞なら誰だってやりますよ。 わたしはつくって逼塞というのがやはり一番尊い。 「一日なさざれば一日食らわず」、それがいいと思うんです。 ・・・・ 〜裏を見せ表を見せて散るもみじ〜 亡くなるときは、死とともに自分の生が全部消えていく。 どことなくおだやかでいいですね。 山と話し、 川と話し、 雲と話してござる人には、これはもう相撲とれません。 フッとそんな気がするんです。 「NHK歴史と人間」 日本放送出版協会 昭和53年発行 撮影日・2019年4月6日 |
良寛 場所・倉敷市玉島柏島 円通寺 子どもたちと「手まり」ついたり、「かくれんぼ」した良寛さん。 今も日本で愛されている。 「岡山の人物」 黒崎秀明著 岡山文庫 昭和46年発行 良寛 1758〜1831 新潟県三島郡出雲崎の人。 18歳の時出家して同地の光照寺にはいる。 22歳の時備中玉島の円通寺十世の、国仙和尚が光照寺に錫杖を休めたのを機縁に、 良寛は和尚に随って玉島に来り、円通寺の住僧となった。 かくて円通寺にあること20年前後といわれるが、その詳細な消息は2、3の詩篇以外に知るよすががない。 44歳の時出雲崎に帰り、郷土に近い国上山中に一庵を設け、天保2年75歳で没している。 その作歌の数々はいつの時代にも人々に愛好され、書は年ごとに価を高くしている。 撮影日・2019年4月6日 |
童と良寛 場所・倉敷市 JR新倉敷駅 ブロンズ 原型 半田郷陽 像高 140cm 制作 宮本隆 昭和51年5月16日建立 玉島ライオンズクラブ20周年記念 岡山文庫 談・水上勉 良寛 やっぱり子供をかわいがられたようですね。 一番純真で、思想も近い。 とにかく自分では鍬も持たず、弟子もとらず、寺もいらん、と。 そうしたら何をするといったら子どもと遊ぶぐらいしかありませんからね。 良寛さんは名主の息子さんで、まあ地方の町の上流階級の坊ちゃんですよね。 十八で曹洞宗、禅宗ですね、小僧さん出家としては遅いほうです。 玉島の国仙和尚さんが偶然越後に来られて、慕って玉島までいくわけです。 玉島まで、今の倉敷の方ですね。 この玉島というのは行ってまいりましたけども、資料というのがなかなか残っていない。 「NHK歴史と人間」 日本放送出版協会 昭和53年発行 撮影日・2008年11月30日 |
役行者小角 場所・倉敷市西阿知 役行者は「その姿は老人で、岩座に座り、脛(すね)を露出させて、頭に頭巾を被り、一本歯の高下駄を履いて、 右手に巻物、左手に錫杖(しゃくじょう)を持ち」のだが、 この像に錫杖は欠けている。 県内に数ヶ所以上の役行者の像はあると思える。 (Wikipedia) 役 小角 舒明天皇6年(634年)伝 - 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、 飛鳥時代の呪術者。 役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)といった呼び名でも広く知られている。 日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされている。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。 前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。 天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。 撮影日・2016年4月23日 |
孝子像(笹川良一) 場所・岡山県倉敷市児島 児島競艇場「孝養の像」 戦後は競艇と寄付金活動で有名な笹川良一氏の像。 特にTVCMの大相撲高見山との、『戸締まり用心、火の用心』『一日一善』は有名。 寄附の分野では、 岡山県の旧衆議院2区の選挙区内には「B&G海洋センター」のプールが、ほぼ全市町村にある。 誘致には加藤六月さんが尽力したと噂される。 母82歳で59歳の息子が背負って金毘羅詣りの像。 多分、全国のボート場にはすべて、この像は立っているのだろう。 「世界は一家、人類は皆兄弟」 撮影日・2018年2月17日 |
作成・2021年10月9日 追記・2021年10月20日