銅像の人  兵庫県
 


孫文

場所・兵庫県神戸市垂水区 舞子公園





孫文
「革命未だ成らず」の悲痛な遺言


ハワイで医者になるとともに、清朝打倒・共和制樹立をめざした。
日清戦争後、広東蜂起を企てるも失敗、日本に亡命。

イギリス亡命中、ロンドンで清国公使館に拘束されて脱出、
その体験記「倫敦被難記」で革命家として世界中で有名になった。

明治44年(1911)辛亥革命が成功し、
孫文は中華民国臨時大総統に推挙され、帰国した。

皇帝溥儀の退位を条件にそのポストを袁世凱に譲ったが、以後
北京の軍閥政府と広東の革命政府が対立。

その後、「連ソ・容共・労農援助」で第一次国共合作、
軍閥打倒などを掲げて北京に至ったが、同地で客死、
「革命未だ成らず」の悲痛な遺書を残した。

「日本首相列伝」 学習研究社 2003年発行








抗日が台頭

「遠見卓見」 秦郁彦 

1911(明治44)年、辛亥革命が起きて大清帝国が倒れ、翌年1月孫文を大統領とする中華民国が成立したとき、朝鮮にいた石原莞爾陸軍少佐は「革命バンザイ」を叫んだ。
日本には孫文の革命を支援し、近代化される中国との提携に期待する石原のようなアジア主義者が少なくなかった。

だが中国は軍閥割拠の時代に逆戻りしてしまう。
幻滅した石原は中国には近代国家を運営する能力はないと断じて侵略主義に転じ、
満州事変の首謀者になった。
陸軍、国内世論も追随した。
それは中国国民の間に抗日ナショナリズムを台頭させ、1937(昭和12)年の日中全面戦争へ発展する。
欧米列強は国民党による中国統一を支持し、日本は脱亜・脱欧の陥穽(かんせい)へ落ち込んだ。




(舞子公園HP)

大正2年、孫文は国賓に準ずる待遇で来日。2月13日に日本郵船の2代目「山城丸」で長崎に到着。
東京、横浜、横須賀、名古屋、京都、大阪と各地で熱烈な歓迎を受け、
3月13日、大阪から阪神電車で神戸に到着。
3月14日、神戸華僑同文学校(現・神戸中華同文学校)、川崎造船所を参観後、
舞子にある呉錦堂の松海別荘での歓迎午餐会に臨みました。




撮影日・2006年12月9日




 


赤とんぼ像(本竜野駅前) 


場所・兵庫県たつの市龍野町中村 JR本竜野駅前




















撮影日・2013年7月26日

 
 


童謡赤とんぼ像 


場所・兵庫県たつの市龍野町



兵庫県の竜野は姫路の西にあり、
お城や醤油や素麺、揖保川が流れ小京都の街並みがある。
春の桜も有名。

それに加えて童謡「赤とんぼ」の町。
作詞・三木露風  作曲・山田耕筰







誰でもが知っている「赤とんぼ」、
でも大正10年の作品なので、当然のことながら、詩は世代により解釈も思いもさまざまに分かれる。


夕焼け小焼けの赤とんぼ おわれてみたのはいつの日か

背中におんぶ。おんぶは30年位前に消滅した。
背におんぶされて見たと思っていたが、トンボに追われたという説もある。


山の畑の桑の実を 小かごに摘んだはまぼろしか

桑畑は60年前に消滅した。
山の畑よりも、平地や河川の方が多かった。
桑の栽培は葉が目的で、実を取る暇があれば葉を取れと叱られるように思うが?


十五で姐や(ねえや)は 嫁に行きお里のたよりも 絶えはてた

女性の結婚は15歳は少し早いと思っていた、でも早すぎるとは思わなかった。
姐やは、姉やと思っていたが、姐やならば奉公人。お里の便りは誰がどこへの便りだろう。


夕焼小焼の 赤とんぼ とまっているよ 竿の先

この歌詞のみ、世代間の共通事項。
とんぼがいれば、捕って遊ぶ気になった。
今の子もヤゴやトンボをを捕って遊んでいるのだろう、たぶん。



日本人の心にしみる歌だ。









撮影日・2013年7月26日

 
 


敦盛と熊谷像 



場所・場所・兵庫県神戸市須磨区須磨寺町  須磨寺



2021年11月4日、神戸市の源平の史跡関係地を何カ所か訪れた。
須磨寺は初めてだったが、都会の市街地の中に歴史と静寂の両方を感じるお寺だった。




「平家物語」 世界文化社 1976年発行 

敦盛の最後

熊谷次郎直実は、何とかよい大将軍と組みたいものだと、渚の方へ馬を進ませていくと、
練貫に鶴をぬいとった直垂に,萌黄匂いの鎧を着て,鍬形に打った兜の緒をしめ、
黄金づくりの太刀をはき、二十四差した切斑(きりう)の矢を負い、滋藤(しげどう)の弓を持ち、
連銭葦毛(れんせんあしげ)の馬に金覆輪の鞍を置いて乗った武者一騎が、沖のほうの船をめざして、
馬を海へ乗り入れ、三、四十間ばかり泳がせているのが目にはいった。

「それなるは、よき大将とこそ見まいらせる、
みぐるしくも敵に後ろを見せたもうものかな。
お返りなされ、お返りなされ」






その武者が引き返し渚にあがろうとしたところを
熊谷はむんずと組みつき、どうと落ち、
取って押さえて首を掻こうと兜をおしあげてみると、
年は十六、七の若武者で薄化粧をし、歯を染めている。
わが子の小次郎くらいの年の美少年であった。
「どういうお方か、お名乗り下さい。お助けしましょう」という。





「さっさと首をとれ」
熊谷はあまりのいとおしさに目もくらんだが、泣く泣く首をかききった。
泣きながら首を包もうとして、鎧直垂を解いてみると、
錦の袋にいれた笛が腰に差してあった。
「東国勢何万騎のうち、軍陣に笛を持ってきている風雅者はよもやあるまい。
さすが平家の公達は風流なものだ」
と思い、義経に笛を見せたところ、涙をしぼらぬ人はなかった。
あとで聞けば、太夫敦盛といい生年十七歳であった。




撮影日・2021年11月4日








鉄人28号

場所・兵庫県神戸市長田区若松町  若松公園





小学生のとき、漫画は大好きだったが、
漫画といえども、ちょっと現実と飛躍しすぎている物語が、いくらかあった。

その代表的な漫画が、
横山光輝の「鉄人28号」、堀江卓の「矢車剣之助」や「天馬天平」、杉浦茂の「猿飛佐助」。

「鉄人28号」は、鉄人が現実離れというのでなく、操作する少年”金田正太郎くん”をさす。


金田正太郎くんは、一見、読者であるわれわれと、ほぼ同じ時代、同じ年齢であったが、
やること、なすこと、すべてが違い過ぎていた。

最大の違いは少年でありながらピストルを持っていて、しかも、すぐに乱発射する。
パンパンパン。





他にも服装。
半ズボン(田舎の子は半ズボンをはかない)、ワイシャツ、ネクタイ、背広。
頭は長髪。
靴はズックでなく、革靴のようなもの。長いソックス。
社会悪と戦うこの少年にとって、まわりの人は子供でなく、大人というのも変わっていた。





そういう、年齢はほぼ同じでありながら、行動が少年離れしたのが、この漫画の魅力だった。
主人公の名前も国鉄のエース・金田正一投手に似ていて親しみやすかった。

後年、笠岡市図書館に行くようになり、本棚に横山光輝作の「三国志」が陳列されていた。
少し、うれしい気分になった。




撮影日・2021年11月4日




 
 











作成・2021年2月20日 追記・2021年12月19日