銅像の人  北海道
 

ウイリアム・スミス・クラーク博士

場所・北海道札幌市 羊ヶ丘展望台
建立・1976年(昭和51年)



クラーク博士の銅像で有名な羊ヶ丘展望台に行ったが、
博士の銅像以外には、コレといった見るほどのもはなかった。
まあ、北海道らしさはいくらか感じることが出来た。






ウイリアム・スミス・クラーク博士


明治9年札幌農学校が開校した。
日本最初の官立農学校である。開港にあたって、アメリカ合衆国マサチューセッツ農科大学長ウイリアム=クラーク博士が、教頭として一年の約束で赴任した。

敬虔なピューリタン、クラークの方針にしたがった札幌農学校はユニークな存在であった。
着任早々、こまかな規則をみせられたクラークは、憤然とそれを否定し、
『ビィ・ジェントルマン!』だけで十分だといった。
黒田の反対を押し切って、キリスト教による道徳教育を実行した。

札幌農学校の学科編成は、せまい意味の農学専門家養成ではなく、
ひろい視野と教養を持つ人間を養成するよう配慮されている。
南北戦争の経験から青年の精神教育上有効なものと考え、4年間練兵という学科があった。
そのため、陸軍将校が配置された。

農場で実習した生徒には、労賃が支払われた。
正当な労働価値にたいする正当な報酬、近代社会のしくみに目をひらかせる機会となった。

翌10年4月、クラークは帰国の途につくが、島松駅頭での別れのひとこと、
”ボーイズ・ビイ・アンビシャス!”は、
長く青年の胸にのこったのである。


「北海道の歴史」 榎本・谷共著  山川出版社 昭和44年発行









撮影日・2017年8月3日


 


千代の山・千代の富士 


場所・北海道松前郡福島町字福島  横綱千代の山・千代の富士記念館
建立 1997年



千代の山は、長身の突っ張りの横綱だったが、記憶の方では引退後の出来事の方が強い。

出羽一門から破門同然で部屋を起こしたことと、
その翌場所に大関・北の富士が優勝したこと。

(同時期のライバル横綱・鏡里もまた、部屋の継承でひと揉めあった)






千代の富士は前頭の頃、にらみ合いで人気の力士だったが、まさか横綱になるとは思いもしなかった。
しかも優勝31回の堂々たる大横綱。

肩の脱臼癖を無くすため、筋肉をつけた努力は100年以上は語り継がれると思う。







惜しまれるのは、千代の山も千代の富士も、やや短命だった。

同じ町から二人の横綱が出るのは郷土の誇り。たいしたものだ。




撮影日・2017年7月29日

 
 


新渡戸稲造胸像


場所・北海道札幌市  北海道大学



新渡戸稲造

稲造は文久2年(1862)盛岡市に生まれた。
祖父は父とともに三本木原開拓者となった。

稲造は、明治13年札幌農学校を卒業し、ついで東京大学文学部に入ったが中退し、米独で経済学を学び、
帰朝後札幌大学教授となり、農学博士となった。

後藤新平の知遇を受け台湾殖産局長となり、36年京都大学法学部教授となった。
39年法学博士の学位を受け、第一高等学校長兼東京大学教授となった。

大正8年国際連盟次長となり、
大正14年帝国学士院、

昭和元年貴族院議員となり、
同8年太平洋会議の日本代表になったが、昭和18年72歳で永眠した。
盛岡の生んだ碩学であり、国際的政治家であった。

晩年はみずから”太平洋のかけはし”として日米間の調停のために活躍している。

「岩手県の歴史」 森嘉兵衛  昭和47年発行








新渡戸稲造

文久2年(1862)〜昭和8年(1933)
盛岡生まれ、
明治17年、米・独へ留学。
第一高等学校校長、東京帝国大学教授、
大正7年東京女子大初代総長となる。
人間の人格と普遍的な人間的価値を重んずる教育を実践した。
東西文明の融合を理想とし、大正9年国際連盟の事務局長となる。

「日本の銅像」  金子治夫  淡交社  2012年発行












撮影日・2017年8月1日



 
 


坂本龍馬 


場所・北海道函館市末広町 「北海道坂本龍馬記念館」


函館の街に龍馬の銅像が立つ。
坂本龍馬と北海道は、なにか縁があったかなあ?


この銅像がある場所は、なんと龍馬記念館。
記念館があるということは、そうとう深い関係があるのだろうな。





こうゆう↓関係だった。つまり坂本龍馬のように大きな視野の人間になってください、というような関係(?)だった。


【北海道坂本龍馬記念館】HPより

北海道坂本龍馬記念館は、
日本の将来を担う人材の育成、主に青少年の心の育成を支援するため、
近代日本の礎を築き、北海道開拓を目指した坂本龍馬の生き方や精神、そして坂本龍馬が生きた幕末・維新の時代背景、
また坂本龍馬の意志を継いで北海道に渡った子孫の人々の調査・研究などを催すと共に、
多くの人々が興味を持ち、 学べる場としての「北海道坂本龍馬記念館」を目指して活動しています。







撮影日・2017年7月30日


 
 











作成・2021年2月20日 追記・2021年10月27日