銅像の人  高知県
 

坂本龍馬 


場所・高知県高知市xx町





坂本龍馬像
世界を目指した風雲児
年 1928年(昭和3年)

桂浜から太平洋を見渡す龍馬像は、高知一の観光名所といっても過言ではないだろう。
右手を胸にしまったお決まりのポーズ。
高知の青年有志が寄付金を募って建立し、1983年(昭和58年)に修復された。
毎年命日の11月前後の2ケ月間、像の脇に展望台が設置され、
竜馬と同じ目線で太平洋を眺めることができる。



「日本の銅像完全名鑑」 廣済堂出版 2013年発行





















撮影日・2015年2月28日


 


山内一豊 



場所・高知県高知市丸ノ内








山内一豊

高知城を造ったのは山内一豊である。
山内一豊といえば、妻のへそくりで名馬を買ったことで男をあげ、
掛川五万石の城主にまで出世したことで有名なあの山内一豊である。
一豊は徳川家康にもうまくつかえ,慶長5年(1600)に土佐一国二十万余石を与えられたのだ。
その一豊が10年かけて造ったのが高知城。

一豊の銅像は、この前の戦争の時に供出され、長らく不在のままだった。
それが、平成8年に再建され、追手門をくぐる前の、県立図書館の前に建っていた。
武具をつけ、槍を持って馬に乗る勇壮な銅像である。

それにしても面白いのは、
戦争の時に、一豊の銅像は供出されたのに、竜馬の銅像は供出されなかったということである。
追手門をくぐってすぐ広場の一角に、板垣退助の銅像がある。
そして、石段をあがっていった三の丸跡の広場の隅に、一豊の妻千代と馬の銅像がある。
説明を読むとこれは、高知商工会議所の婦人会が建てたものだそうだ。

いづれにしろ、
どうも高知の人は銅像好きである。
人材が多く出た、ということもあるのだろうが、あちこちに銅像があるのだ。


「銅像めぐり旅」 清水義範著 詳伝社 平成14年発行
















撮影日・2007年8月11日

 
 


板垣退助 



場所・場所・高知県高知市丸ノ内























撮影日・2018年3月24日

 
 


長宗我部元親 



場所・高知県高知市長浜
建立・1999年(平成11年)



長宗我部元親像

「鬼若子」と呼ばれた四国の覇者


土佐の国人だった長宗我部国知価親から領地を継ぎ、1代で四国を統一するまでに成長。
その後、豊臣秀吉に敗れ、土佐一国の支配者になる。
元親は初陣まで「姫若子」と呼ばれるほど貧弱だったが、後に鬼武者へと変わり、
「鬼若子」の異名をとった。


「日本の銅像完全名鑑」 廣済堂出版 2013年発行









土佐一国は、ひょんなことから尾張出身の山内一豊が授かった領地である。

土佐にいたもともとの武将は、長宗我部元親だった。
その人物がほとんど一代で土佐全土どころか、四国の全土を平らげたのである。
それなのに、秀吉と戦って敗れて土佐一国に押し込められ、後に、
家康によって家をつぶされたのだ。

そういうところへ、一豊は赴任してきたのである。

「銅像めぐり旅」 清水義範著 詳伝社 平成14年発行
















撮影日・2018年3月24日

  




 
 













作成・2021年3月6日  追記・xx